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高松高等裁判所 昭和39年(う)324号 判決

本店所在地

徳島市幸町三丁目二八番地

若松建設商事株式会社

右代表取締役

橋本勲

本籍並に住居

徳島県板野郡松茂町広島一番越三番地の一

右会社代表取締役

橋本勲

明治四二年四月一八日生

右の者らに対する法人税法違反被告事件につき、徳島地方裁判所が昭和三九年六月二四日言渡した判決に対し、各被告人より適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官森脇孝出席の上審理して、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は二分し、各二分の一ずつを被

告人らの負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、記録に編綴してある弁護人木村鉱作成名義の控訴趣意書、控訴趣意書一部訂正申立書及び控訴趣意書に対する計数説明書、昭和四四年八月五日付上申書、昭和四五年六月一〇日付陳述書に各記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

第一、被告人橋本の事業経営、被告人会社の事業内容、本件法人税逋脱の経緯、原審における審理の状況等について、

(一)  被告人橋本(以下被告人という)は、昭和二三年頃許可を受けて個人の貸金業を開業したが、昭和二五年二月頃徳島産業商事有限会社を設立し、その代表者となり、貸金業、酒類の小売販売、ダンスホール経営等の事業を営んでいたところ、右会社は、昭和二九年三月破産を申し立てられた。そこで、同年七月別に若松産業商事有限会社(以下旧会社という)を設立し、被告人の妻益美を名義上の代表者とし、同様の事業を営んでいたが、昭和三三年一〇月頃休業状態になつた。

(二)  被告人は、昭和三三年一〇月一日若松産業商事株式会社を設立し、同三四年一〇月一日商号を若松建設商事株式会社(被告会社という)と変更し、本店を被告人の前記自宅において、自ら代表取締役として、いわゆる同族会社と認められる右会社を統括し、会社の事業目的である金銭の貸付業、これに附随する金銭貸借の媒介、斡旋、有価証券の売買業、酒類小売販売業その他物品販売業、ダンスホール及び湯屋営業、土木建築請負業、船舶による貸物の海上運送業、損害保険代理店業等のうち主として貸金業、砂利採取販売業、酒類の小売販売業等を営んでいた。

(三)  被告会社は、昭和三五年四月一日より昭和三六年三月三一日までの事業年度(以下昭和三五年度という)の法人税確定申告につき所得を零であると申し立て、次いで、昭和三六年四月一日より昭和三七年三月三一日までの事業年度(以下昭和三六年度という)の法人税確定申告につき所得を一九五万八、〇六五円の欠損であると申し立てた(九一〇丁)ところより、昭和三八年二月高松国税局職員の調査を受けるにいたり、被告会社に詐欺不正の手段により所得を隠匿し、法人税を逋脱した犯則けん疑ありとして、被告人は国税査察官及び検察官の取調を受けるにいたつたものであるが、被告人は査察官の取調に対して概ね逋脱を認め昭和三九年五月九日逮捕せられた後の取調に際しても、貸付取引の一部を簿外とし、或は貸付金利収入の一部を故意に除外して公表帳簿に計上せず、これらを裏金利として架空人名義の普通預金にする等の方法で被告会社の所得を隠匿し、昭和三五、三六年度各法人税の申告にあたつて、所得は零或は欠損である旨偽りの申告をしたことを認め、旧会社よりの譲受債権についても回収不能を知りながら譲受けたものがあり、売買損に計上した株式マージン取引については名義を書換えたのは、株が下落して現引する一ヶ月位前であつたと記憶する。公表上の貸倒損の問題にしてもいろいろ問題があろうかと思う等と供述し、その後本件の争点となつている事業関係について概ね自認をし(一、五七〇丁)、原審においては、公訴事実をすべて認め、何等の争をせず、第一回公判において審理を終結し、原判決が言渡せられている。

しかるに、当審において、にわかに従来の自白の一部を否認し、控訴の趣意に即応する供述をし、原判決の認定の一部を争うにいたつている。

第二、控訴趣意第一点、事実誤認の主張について、

所論は要するに、原審が、昭和三五年度の被告会社所得を少くとも八〇五万七、一七四円、昭和三六年度の被告会社所得を少くとも一、四四五万六、〇二四円と認定したことは誤認であり、税法上損金として控除さるべき経費、貸倒損失金及び受取利息の過大計上分を差し引くと、昭和三五年度の所得は二六万八、五六四円、昭和三六年度の所得は収益なく、欠損六三三万五、二六三円と認定されるべきであるというのであるが、弁護人提出の控訴趣意書等においては、刑訴法三八二条の規定する訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実は、これを具体的に援用せず、しかも記録を調査するも、明らかに判決に影響を及ぼす誤認があることを信ずるに足るとして援用できるものは皆無に等しいところよりすると、事実誤認を主張する控訴の適法性については疑問があるが、前記の如き一審の審理経過にも鑑み、職権調査をも加えることとし、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも併せ検討し、順次左記のとおり判断する。

(一)  交際費、接待費、厚生費についての損金認定が、昭和二五年度につき七〇万円(交際費三〇万円、接待費三〇万円、厚生費一〇万円)、昭和三六年度につき一〇五万円(交際費一〇万円、接待費八〇万円、厚生費一五万円)はそれぞれ過少であるとの主張について、

右主張を裏づける具体的証拠はなく、被告人の検察官に対する供述(一、五一一丁)によると、交際費につき、両年度約五〇万円、接待費につき両年度共二〇万円乃至三〇万円位、厚生費につき両年度共一五万円乃至二〇万円位支出したと述べている外、西岡文一が検察官に対し(九二〇丁以下)、「簿外の経費も只今申し上げたように何らかの名目で他の経費科目に計上されているので、帳簿にのせてない会社の経費はなく、右の賞与が会社の簿外収入から出されたものであれば、これ位が帳簿にのせられていない簿外経費ということになります」(九二三丁)と述べている等関係証拠を綜合すると到底右主張は採用できない。

そもそも、逋脱犯における逋脱額を定める場合において、逋脱利得と相当因果関係のある経費は、簿外のものであつても、損失としえ認容すべきは当然であるが、逋脱利得(本件においては主として受取利息の簿外処理)と関係のない一般管理費用である交際費、接待費、厚生費等については、特段の理由がなければ、確定申告の際の損益計算書に計上せられている金額以上の簿外支出を認容する必要はないと解せられているのに、被告会社の昭和三五年度の交際費中、夏季、年末贈答費、転勤者の歓送迎会費用について、合計六〇万七、四〇〇円として、公表されている一四万六、七五〇円を差引き四六万六五〇円の簿外支出を認め、同じく接待費については公表されている二万五、八六〇円が僅少であるところより、被告人の供述のとおり三〇万円の簿外支出を認め、同じく厚生費について、被告人の供述のとおり二四万七、九二二円として、公表されている一一万一、〇八二円を差引き一三万六、八四〇円の簿外支出を認め、昭和三六年度交際費中、夏季年末贈答費、転勤者の歓送迎会費について、前年とほぼ同様合計六一万三、九五〇円として、公表されている一四万六、一〇〇円を差引き四六万七、八五〇円の簿外支出を認め、同じく接待費については、五〇万円の簿外支出と認め、同じく厚生費について、被告人の供述のとおり二六万五、二五四円として公表されている一三万八、二四四円を差引き一二万七、〇一〇円の簿外支出を認めているのは、被告会社に有利に過ぎると望むべきものとしても、過少であるとの非難は当たらない。

(二)  昭和三五年度雑損失は合計五九七万四、〇一八円であり、原審認定の二〇万円との間に五七七万四、〇一八円の差があるとの主張について、

(1)  新大阪自動車市場株式会社(代表取締役梅原治一)振出の約手三〇五万六、〇〇〇円、大都運輸株式会社(代表取締役間口康四郎)振出の約手五〇万四、〇〇〇円合計三五六万円の貸倒れについて、

右貸付は簿外取引であるが、被告人の検察官に対する供述(一、五二六丁以下)によると、「新大阪自動車市場株式会社、大都運輸株式会社に対する残債権のことについては、昭和三七年三月末現在において、元本回収の手段を講じていたときであり、三、四期(昭和三五、三六年度)の貸倒れとして処理することは、時期尚早であつた」旨述べ、現に不渡手形一〇通を保管していた(被告人は当審において、旧債が全額支払われたときに戻すという約束であつたと述べている)外関係証拠を総合すると、右三五六万円については、昭和三五、三六年度分の貸倒れ損失と認容しなかつたのは相当である。

被告人の当審における供述によると、昭和三五年一一月頃、右手形貸付とは別な村岡隆に対する旧債権一二〇万円につき分割弁済の手形を受領するのと引換えに右三五六万円につき支払の免除をしたというけれども、別個の旧債権回収のため、被告会社の債権を放棄することは不当であるのみならず、被告人の検察官に対する供述(一、五二七丁)によると、「この一二〇万円(昭和三六年一一月三〇日から同三八年八月三一日までの分割払)を村岡が完済すればそれを条件として残余の債権は棒引する」という申合せをしたというのであり、冨宅護に対する質問てん末書によると(六二四丁以下)、月五万円あて分割弁済する合計一五〇万円位の手形が村岡隆より右冨宅を介し被告会社に交付されたことは認められるが、新大阪等の残債務が直ちに免除されたものとは認められず、また右手形が一部不渡りとなり(一部入金―一、八四三丁)三六年終り頃に書換もされて完済にいたらず、また手形裏書をしている右冨宅においても、元本支払の意思があり(六二六丁、一、五二八丁)、一部四五万円を代払している(六一八丁)ところよりすると、被告人の右供述は措信できなく、昭和三七年三月三一日当時債務免除はされてない(一、五二七丁)。当番証人冨宅護、同村岡隆の各証言によつても、右認定は左右されない。

(2)  井内昇一(金物業)に対する四四万八、三〇九円の貸倒れについて

右は昭和三三年一一月一日付で旧会社から被告会社が承継した元本一五万円及び未収利息二九万八、三〇九円の合計であると認められるが、被告人の検察官に対する供述(一、四六二丁以下)によると、被告会社の譲受当時において既に回収の見込みのない不良債権であり、引継ぐべきでなかつた旨認めている外、西岡文一の検察官に対する供述調書(九〇一丁以下)等の関係証拠を総合すると、引継当時既に回収は不能であつたことが明らかであり、新旧会社間の右承継取引を新会社の利益を害する違法の措置であるとして税法上否認し、貸倒れの対象と認めないのは相当である。

(3)  太粟健介(木材業)に対する九六万五、七〇九円の貸倒れについて

右は昭和三三年一一月一日付で旧会社の右太粟に対する貸金残額等一〇二万一、五二〇円を被告会社が譲受けたものが、昭和三六年三月三一日当時において、回収不能として九六万五、七〇九円を残存していたというのであるが、被告人の検察官に対する供述(一、四六七丁以下)によると、「譲受当時、担保物件につき訴訟中ではあつたが、回収できる可能性は全くなく、引継をしてもいずれ貸倒れとして処理せざるを得ず、被告会社の利益を害することは判つていた」旨述べている(なお、一、七四〇丁以下参照)外、太粟健介、西岡文一の各検察官に対する供述調書(八三六丁、九〇四丁)等関係証拠を総合すると、右債権は回収がはなはだ困難であつたことは明らかであり(八四六丁)、被告人会社に承継せられたのは、税法上違法な措置として否認すべきであり、貸倒れの対象と認めないのは相当である。

仮りに、右の譲受債権中、根抵当権設定のあつた五〇万円につき、抵当権の実行により回収の見込があり、被告会社の承継が適法であるとしても、右債権回収のため昭和三六年三月三一日当時、被告会社において販売取得していた右抵当物件である家庭(販落代金五一万一、八九〇円)の敷地に対する貸借権の存在について、訴訟が係属していた(八四三丁、一、四七三丁、一、七四一丁以下)ところよりすると、裁判の結果をみるまでは回収額も確定せず、少なくとも昭和三五年度においては、貸倒れの処理をすべきではないと解する。

(4)  訴訟費用等三〇万円の損金について、

右井内、太粟に対する債権の承継が否認せられる限り右両名に対する債権回収のための訴訟費用等が被告会社の経費として認められないことは当然であるのみならず、弁護士等に支払つたと称する経費支出の具体的証拠はなく、右損金は認められない。

(5)  競売のための談合金等五〇万円の損金について、

関係証拠によれば、昭和三五年度分損金と認むべきものは発見できない(被告人の当番における陳述によると右は四国産業の土地の競落とは関係なく、徳島市南内町一丁目三三番地二九五・五平方米の土地の競落に関するものというが、支出に関する証拠はない)。

(三)  昭和三六年度雑損失は合計一、八八八万七、五二三円であり、原審認定の一九〇万円との間に一、六九八万七、五二三円の差があるとの主張について、

(1)  高瀬与士二に対する一五万円の貸倒れについて、

被告人の検察官に対する供述(一、五三〇丁)によると、右高瀬が行方不明となつたのは昭和三七年の夏頃というのであり、その他関係証拠によると右貸倒れがあるとしても、昭和三六年度の損金に計上すべきではない(証一一六号乃至一一九号、一、八七〇丁以下参照)。

(2)  末広電工(吉田豊彦)に対する三一万円の貸倒れについて、

被告人の検察官に対する供述調書(一、五三二丁以下)、昭和三六年八月一七日付公正証書(証一二四号)、約手三通(証一二五号、一二六号、一二七号)等関係証拠によると、右貸倒れは、昭和三七年度以降の損金に計上すべく、昭和三六年度の損金であるとは認められない。

(3)  岡林一美(岡林林業企業組合)に対する五〇〇万円の貸倒れについて

被告人の検察官に対する供述(一、五六八丁)によると、「三和に関連する岡林に対する六一〇万円の貸付については、昭和三六年一二月六〇万円、三七年一月五〇万円、三七年三月木材代金一五〇万円位を元本の回収として受取つております(昭和三七年三月三一日現在残債権三四一万三、四五〇円―二、〇五〇丁)、現在も請求する所存です。かような状態で三七年三月末現在において、岡林に対する債権は若松としては回収中でありました」(一、五六八丁)と述べ、現に約束手形一一枚を保管していた外、岡林一美の検察官に対する供述調書(六六五丁以下)等関係証拠を綜合すると、右岡林は現職弁護士で、支払の意思、能力もあり(六七六丁)、右貸金を昭和三六年度の貸倒れと認めるのは時期尚早であるものと解する。

(4)  三和製作所(旧社名三和木管株式会社)単名振出の約手一五〇万円、三和製作所振出、福寿産業製作所裏書の約手三二〇万円、三和製作所振出、小倉木工所裏書の約手三〇万円、三和製作所振出、岡林一美裏書の約手一五〇万円、合計六五〇万円の損失について、

被告人の検察官に対する供述(一、五六一丁)によると、「昭和三六年一二月(被告人が事業を引受継続することを前提として―当審の陳述)三和が工場土地建物機械器具一切を現状有姿のまま若松に提供し、若松が三和に対して有する一切の債権を棒引きにした当時の若松の三和に対する債権は、三和が岡林のため振出した融手の割引を除外して、

大和物産振出三和宛の手形(一四枚)の割引一、一五〇万円

稲西産業振出三和宛の手形(二枚)の割引四五万円

三和単名の手形(二枚)の割引一五〇万円及び利息残一八万円

三和振出小倉木工所宛手形(一枚)の割引三〇万円

三和振出福寿製作所宛手形(七枚の割引)三二〇万円

三和振出岡林一美宛手形(四枚)の割引一五五万円

(合計一、八六八万円)(六九二丁参照)あつた外、三和が工場の建物を担保として県保証協会を通じて阿波商から借入れている三〇〇万円の債務については若松がこれを承継して弁済する話合がまとまつた」(一、五六一丁以下)、「三和の提供した建物等に対する評価はいろいろあろうかと思いますが、この代物弁済は企業を一体として評価したもので価々に分散すれば価値も低下するとしても、企業を一体として評価するときは、この程度の債権で代物弁済として処理しても損にはならない程度の価値はあり、二千万円前後の評価の対象になり得るものであつた」(一、五六四丁)と述べている外、藤岡益夫の検察官に対する供述調書(六八〇丁以下)等関係証拠を綜合すると、右代物弁済契約(代物弁済の仮登記とは別に、書面によらず)には、簿外貸付であつた前記六五〇万円の債権が含まれていることは明らかである(その後作成せられた代物弁済に関する契約書は便宜のものにすぎない)ので、被告人会社が代物弁済により取得した工場の取得価格は原材料、仕掛品等を含め一応二、一六八万円と評価すべく、この程度の価値はあつたものと認められる(六九三丁)。爾後これを右価格以下で売却する(昭和三六年一二月二〇日若松木工株式会社を設立して賃貸していたが、同会社に昭和三九年三月三一日一、〇〇〇万円で売却したという)等により損金を生じた場合には、その時損失処理をする筋合になるべきものと解せられるので、右六五〇万円が代物弁済の対象になつていないとの前提でこれについてのみ昭和三六年度に損金処理をすべきであるという主張は失当である。

なお、当審における右工場土地(六四二坪)、建物(三〇九坪)、機械器具等の評価鑑定の結果は、昭和三七年三月三一日現在の評価は一、四三四万八、六五〇円となつているが、原材料、仕掛品等の評価額三〇〇万円が含まれてなく、また営業継続(六九〇丁うら)の利益(得意先等)を評価して附加する余地がある(昭和三七年一月より若松木工業株式会社として営業継続―六九五丁うら)外、右鑑定によるも評価総額は年年増加しているところよりすると、値上りを待てば損失はなくなる見通しは十分あるのにかかわらず、昭和三九年三月三一日、一、〇〇〇万円で若松木工株式会社(代表取締役橋本隆雄、被告人の長男)に売却したのは不当に安いものと解せられる。

(5)  四国産業株式会社(高瀬喜邦)に対する一六五万四、二〇〇円の貸倒れについて、

右は、昭和三五年四月一七日付で、公表帳簿に登載された貸金残額八〇万円及び未収利息の合計であると認められるが、被告人の検察官に対する供述(一、五四八丁以下)によると、「右八〇万円中五五万円は、旧有限会社より引継いだものであり、二五万円についても簿外取引であつたものを、いずれも回収困難となり利息も入らないようになつてから昭和三五年四月に公表帳簿に計上し、昭和三七年三月末貸倒れとして誠に横着な処理をした」(一五四八丁以下)、「私は、昭和三四年頃四国産業が持つていた東船場町の土地を競落(昭和三六年五月一一日橋本個人で競落、代金一〇一万二、〇〇〇円)し、日本住宅公団が回収した右土地の上の建物(ビル)を住宅公団より個人で買取ることにして、昭和三七年二月頃から分割で支払(代金八三〇万円)を始め、四国産業に立退を要求(昭和三七年一〇月三〇日明渡)するについて、明渡料と右八〇万円の債権を相殺しようと考えておりました。従つて、昭和三七三月当時、四国産業に対する債権を放棄する気はなかつたのに、貸倒れに計上したことは誠に妥当を欠ぐものとして反省しております」(一、五五〇丁)旨述べている外、高瀬喜邦の検察官に対する供述調書(七五七丁以下によると、「四国産業は、昭和三四年二月頃休業した」(七五七丁、七六〇丁)、「昭和三七年九月、右高瀬が右四国産業の建物より退去するに当つて立退料として受領する約束(昭和三四年の初頃)になつていた四二〇万円位の一部として右八〇万円及びその利息が相殺され、差額一三〇万円の現金の外に手形、小切手が返還された」旨(七五七丁以下なお一、七七三丁参照)述べている等関係証拠を綜合すると、旧会社の債権を承継したことは不当であるのみならず、これを容認するとしても、被告人においては、右債権を抛棄する意思はなく、また回収不能であつたとも認められないので、昭和三六年度の貸倒れとは認められない。(被告人が自己名義で競落或は買取つた右土地、建物の明渡料に会社債権を流用した―七六三丁―ことは不当である。)

(6)  株式の売買等による損失金三五七万三、三二三円について

被告会社の公表帳簿によると、昭和三六年七月一八日より八月一七日の間において、大和及び野村の両証券会社より、日本製粉四銘柄の買付を約定したが、決済期間内(三ヶ月)に暴落したため同年一〇月三一日より一一月三〇日の間において、これら株式を九三二万八、七二三円で現物引取し、昭和三七年三月の決算期において、この一部を被告人橋本個人に三〇六万五、〇〇〇円で譲譲し、売却損一九五万八、二八三円を計上し、残余株式四三〇万五、四四〇円について評価損一六一万五、〇四〇円を計上しているものであるが、被告人の検察官に対する供述(一、四八三丁以下)によると、「被告会社の定款に、営業目的として、有価証券の売買をなす業務と記載されているのは、証券業を営むということであつて(一、六七七丁参照)、会社としては株の普通取引、信用取引は致しませんでした。個人としては私は早くから株に興味をもつて取引してきた。昭和三五年七、八月頃から、個人として株に手を出した。昭和三六年七月一八日以降、大和証券及び野村証券の徳島支店で信用取引を始めた。この信用取引について買付けてから次第に株価が値下をはじめたので困り、一応この株を現引することとしたが、個人の取引としておくと、丸々損ということになるところより、会社の取引名義に変更して、会社がマージン取引で損をしたことにして損金処理をするつもりで、同年九月末頃依頼をして取引名義を会社に変更し(七九三丁、八一七丁参照)、会社の帳簿に取引を計上し、対税関係で都合がよいように操作を加えた」旨述べている外、西岡文一の検察官に対する供述調書(九一四丁)、山端義文の検察官に対する供述調書(七八八丁以丁)、木村清の検察官に対する供述調書(八一三丁以下)等の関係証拠を綜合すると、被告人橋本勲が「橋本正直」、或は「橋本昇」名義等で個人の信用取引をしていた(保証に差入れた代用証券も被告会社のものではない)のを、株価暴落のため、遡つて被告会社がマージン取引をしたことに偽装したものと認定できるので、右株式の売買損失金、評価損失金は被告人会社に帰属せしむべきではないことは明らかである。

当審証人山端義文が、「報告書を送つて数日経つた頃、橋本正直名を会社名に訂正してくれとの依頼があつた」旨の供述及び当審証人西岡文一の第七公判における供述及び第一四回公判における検察官調書の任意性、真実性を否認する旨の供述は措置できない。

(7)  訴訟費用等三〇万円の損金について、

関係証拠を綜合しても、昭和三六年度分損金と認むべき証拠はない。

(8)  砂利等採取許可その他に要した費用一〇〇万円について、

関係証拠を綜合すると、昭和三六年度寄附金一三〇万円が簿外支出の経費として損金に認容されているので、更に控除する必要はない。これとは別に一〇〇万円を経費と認むべき証拠はない。

(四)  受取利息につき過大評価があるという主張について、

(1)  丸武産業(社長山本索一)よりの受取利息につき、特約による払戻利息として

昭和三五年度分九四万五、八二六円(反論書参照)

が返戻されていると主張し、被告人においては、その理由として、日歩二〇銭(月約六分)の約定息中より、昭和三五年度中はその三分の一位を、昭和三六年度になつてからはその二分の一位を丸武産業に現金で返却した(被告人の当審における陳述及び一、六五八丁、一、六八三丁、一、七三一丁以下)ためであるというのであるが、被告人の検察官に対する供述(一、五六〇丁以下)によると、「山本に対する手形割引貸付は、日歩二〇銭で継続し、昭和三五年一二月頃公表では日歩一〇銭にして計上しているが、実際は従来どおり日歩二〇銭の利息をもらい、表で一〇銭を計上し、裏一〇銭の利息は簿外におとしていた」旨述べ、更に、「山本に対する裏金利に該当する収入も、その後リベートとして返す等致しておりません」(一、五六六丁うら)と述べている外、被告会社においては、受取利息につき月六分の領収書を出していることは、被告人において認めている(被告人の当審第一五回公判供述)外、山本素一の検察官に対する供述(六三三丁)によると、利息は日歩二〇銭で必ず天引されたもので、後から半額を現金で返して貰つたことはない(六三七丁うら、六四五丁)と述べている等関係証拠を綜合すると、丸武産業よりの受取利息については、別紙第一計算表の如く

昭和三五年度分一八一万五、〇九五円

昭和三六年度分三一六万二、一二二円

と認定できる。

(2)  三和製作所よりの受取利息につき、特約による払戻利息として

昭和三五年度分七〇万三、〇一二円

昭和三六年度分二五一万二、五三〇円

がそれぞれ返戻されているというのであるが、被告人は検察官に対しては、「三和に対する貸付は、三和振出のものは二〇銭、三和が他からの約手を持つてきた場合には一七銭の利息をもらつていた」(一、五六六丁)と述べており、手形の割引利息等について二割乃至三割のリベートを払つた(被告人の当審における陳述、一、五六六丁うら、一、九四四丁以下と矛盾する)と認められる証拠はなく(六八五丁参照)、右主張は認め難い。

しかし、藤岡益夫の検察官に対する供述調書(六八〇丁以下)、同人に対する質問てん末書五通(七〇四丁以下)等関係証拠を綜合すると、三和製作所よりの受取利息は、別紙第二計算表のとおり

昭和三五年度二二四万三、四〇五円

昭和三六年度八九七万一、六二五円

であることが認められ、原審が、

昭和三五年度分二二二万九、四八五円

昭和三六年度分八九八万四、五四四円

と認定した計算には、昭和三五年度分に(-)一万三、九二〇円、昭和三六年度分(+)一万二、九一九円の誤算がある。

(3)  前田義昭よりの受取利息につき、特約による払戻利息として、

昭和三五年度分五六万五、五〇〇円

昭和三六年度分八二万八、〇〇〇円

がそれぞれ返戻されているというのであるが、前田義昭の検察官に対する供述調書(四九八丁)、被告人の検察官に対する供述(一、五三八丁以下)によると、利息は、手形割引は日歩一八銭、日の出丸、昌栄丸関係の貸金は、月六分或は五分で、利息はいずれも前払であつたと認められる外、利息払戻の特約があつたものと認められる証拠はない。

しかし、その他関係証拠をも綜合すると、前田義昭よりの受取利息は、別紙第三計算表のとおり、

昭和三五年度一八三万五、一四八円

昭和三六年度一六五万五、六九五円

であることが認められ、原審が、

昭和三五年度一八七万二、一四八円

昭和三六年度一六五万五、六九五円

と認定した計算には、昭和三五年度分につき(+)三万七、〇〇〇円の誤算がある。

(4)  なお、丸武産業、三和製作所、前田義昭より各受取利息につき、特約によるリベートが多少あつたとしても、その実質は、被告会社の取得した利益の処分とも認定できるので、税法上損金とは認められず、受取利息として過大な認定とはならないものと解する。

第三、原判決認定の計算誤謬について、

以上説示の如く、原審の認定には弁護人所論の如く事実誤認はないけれども、関係証拠を綜合して、前記の如き計算等の誤謬を是正すると、取引先別除外利息明細は、別紙第四計算表のとおりとなり、昭和三五年度については、別紙第五計算表のとおり所得は八〇三万二、四九四円、逋脱額二九五万二、三一〇円、昭和三六年度については、別紙第六計算表のとおり所得は一、四四四万五、九二五円、逋脱税額五三八万九、四四〇円と認めるのが相当であり、この限りにおいて原審の認定には計数上の誤りがあるが、その誤差は僅少であり、判決に影響を及ぼす程のものではないと認められるので、原判決を破棄する必要を認めない。

第四、控訴趣意第二点、量刑不当の主張について、

所論は、要するに被告会社に対し、罰金三〇〇万円と五〇〇万円、被告人に対し懲役一年、執行猶予三年を言渡した原判決の量刑は著しく過重であるというのであるが、本件犯行の動機、態様、逋脱額等に徴すると、所論の如き事情を十分斟酌しても、原判決の量刑は相当であり、更に減軽をする必要を認めない。

叙上説示の如く、控訴の論旨はすべて理由がないので、刑訴法三九六条、一八一条一項本文により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川豪 裁判官 越智傅 裁判官 奥村正策)

別紙第一

〈省略〉

丸武産業(株)利息計算表

(自 S.35.4 至 S.36.3期分)

No.1 (注)割引日数欄の(+)日数は手形取立日数の加算を示す。

〈省略〉

No.2

〈省略〉

No.3

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

No.4 (S.36.4.1 S.37.3.31期分)

〈省略〉

No.5

〈省略〉

別紙第二

(株)三和製作所利息計算表

(自 S.35.4 至 S.36.3分)

No.1 (注) 割引日数欄の(+)日数は手形取立日数の加算を示す。

〈省略〉

No.2

〈省略〉

No.3

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

No.4

(自 S.36.4 至 S.37.3分)

〈省略〉

No.5

〈省略〉

No.6

〈省略〉

No.7

〈省略〉

別紙第三

前田義詔利息計算表

No.1

(自 S.35.4.1 至 S.36.3.31分)

〈省略〉

No.2

〈省略〉

〈省略〉

S 35.4.1 S 36.3.31)期の利息計算(公表帳簿の計上、ならびに申告なし)

(1) S 35.3.31期末の未経過利息 20,088円

(2) S 35.5 S 36.3)間の収入利息 1,875,180

(3) S 36.3.31期末の未経過利息 △ 60,120

差引当期利息 1,835,148

No.2

(自 S.36.4.1 至 S.37.3.31分)

〈省略〉

〈省略〉

S 36.4.1 S 37.3.31)期の利息計算(公表張簿の計上ならびに申告なし)

(1) S 36.3.31 期末の未経過利息 60,120円

(2) S 36.4 S 37.3)間の収入利息 1,595,575

合計当期利息 1,655,695

別紙第四

取引先別除外利息明細表

No.1

〈省略〉

No.2

〈省略〉

別紙第五

犯則所得・犯則税額訂正明細書

自 35.4.1

至 36.3.31

1. 勘定科目の訂正明細

(1) 受取利息の訂正明細

(差引減少は△)

〈省略〉

2. 犯則所得の訂正明細

〈省略〉

(注) 「当初」「訂正後」欄の「賞与」~「寄付金」の損金科目に△を付して表示した金額は、公表外の損金があるものと認め、「受取利息」の益金科目に△を付して表示した金額は、公表において過大に益金を計上しているものとして、それぞれ犯則所得から減算したものである。

3. 犯則税額の訂正明細

(差引減少は△)

〈省略〉

脱税額計算書

自 35.4.1

至 36.3.31

〈省略〉

税額の計算

〈省略〉

増差所得の内訳

税目 法人税

事業年度 自 35.4.1 至 36.3.31

〈省略〉

増差所得合計 12,170,525円

修正損益計算書

租税犯の類型

自 昭和35年4月1日

至 昭和36年3月31日

〈省略〉

〈省略〉

調査所得(調査による増減金額)

自 昭和35年4月1日

至 昭和36年3月31日

損益科目

〈省略〉

〈省略〉

法人・個人合併

修正貸借対照表

租税犯の類型

昭和36年3月31日現在

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

調査所得(調査による増減金額)の説明書

自 昭和35年4月1日

至 昭和36年3月31日

貸借科目

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

別紙第六

犯則所得・犯則税額訂正明細書

自 36.4.1

至 37.3.31

1. 勘定科目の訂正明細

(1) 受取利息の訂正明細

昭和36年度

〈省略〉

(2) 祖税公課の訂正明細

〈省略〉

(注) 法人事業税の課税標準は前事業年度の所得金額である。

2. 犯則所得の訂正明細

〈省略〉

(注) 「当初」「訂正後」欄の「賞与」~「寄付金」の損金科目に△を付して表示した金額は、公表外の損金があるものと認め、「受取利息」の益金科目に△を付して表示した金額は、公表において過大に益金を計上しているものとして、それぞれ犯則所得から減算したものであり、「当期欠損申告額」の△は当該金額を犯則所得から減算したことを示すものである。

3. 犯則税額の訂正明細

(差引減少は△)

〈省略〉

脱税額計算書

自 36.4.1

至 37.3.31

〈省略〉

税額の計算

〈省略〉

増差所得の内訳

税目法人税

事業年度 自 36.4.1 至 37.3.31

〈省略〉

増差所得合計 16,985,128円

修正損益計算書

祖税犯の類型

自 昭和36年4月1日

至 昭和37年3月31日

〈省略〉

〈省略〉

調査所得(調査による増減金額)の説明書

自 昭和36年4月1日

至 昭和37年3月31日

損益科目

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

法人・個人合併

修正貸借対照表

租税犯の類型

昭和37年3月31日現在

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

調査所得(調査による増減金額)の説明書

自 昭和36年4月1日

至 昭和37年3月31日

貸借科目

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

控訴趣意書

法人税法違反

控訴被告人 若松建設商事株式会社

右代表取締役 橋本勲

控訴被告人 橋本勲

右被告二名に対する法人税法違反被告事件につき弁護人木村鉱は左の通り、控訴趣意書を提出します。

趣意書

第一点 原審判決は判決に影響を及ぼすこと明かなる事実誤認があります。

即ち、原判決は事実認定として

第一、昭和三五年四月一日より、昭和三六年三月三十一日までの被告人会社の所得は少くとも八〇五万七、一七四円(法人税額二九六万一、六九〇円)と認定し、

第二、同会社の昭和三六年四月一日より昭和三七年三月三一日迄の被告人会社の所得は少くとも一、四四五万六、〇二四円(法人税額五三九万三、二八〇円)と認定し、

その認定の根拠となりたる証拠の根本は、記録添付の同判決証拠標示中の大蔵事務官、安岡功作成の証明書(添付の脱税額計算書を含む)及右同人作成の調査報告書(添付の貸借対照表、損益計算書、貸付金および受取利息計算表を含む)

右両証拠より出発し、その他の各掲記の証拠を総合認定したることは明かであります。

しかし右安岡大蔵事務官作成の二つの書面は、本控訴趣意書添付の別表第一、第二の如く、右両年度の同会社における所得額査定に、税法上においても、実際取扱例においても、当然認められ、控除さるべき損金額に重大なる誤認誤算があり、この当然の損金を、正しく差引かるるにおいては同会社の

第一、昭和三五年度の所得は金二六万八、五六四円となり

第二、昭和三六年度の所得は金六三三万五、二六三円

となり原審認定の事実とは重大なる相違あるものである。

尚安岡大蔵事務官提出の前記二個の書面と本書添付の別表第一、第二の計算書及びその他の帳簿証拠書類との比較計算書は目下作成中につき、後に提出します。

しかして、原審認定の証拠の一つに被告人橋本勲の当公判廷における供述(自認)を援用されて居りますが、本件起訴事実は同会社における右二ケ年間営業の数百件に上る計算事件であり、かかる複雑なる計算結果を身体拘束中の被告人橋本勲に突然(何の計算資料計算用具を与へず)、自供せしめたりとするとその答は極めて措信少なきものであつて事は計数の問題であつて被告人、如何に自供するも後に数字に判然と誤りなることが示されれば、これに根拠して事実認定さるべきが裁判原則、特に刑事裁判の原則であると信ずる次第であります。

第二点、原審の量刑は著しく過重で失当であります。

即ち原審は法人会社に第一事実につき罰金三〇〇万円、第二事実につき罰金五〇〇万円、合計八〇〇万円の罰金を言渡し被告個人橋本勲に対し、懲役一年、執行猶予三年の刑を言渡して居りますが、元来本件は会社の営業諸帳簿記載はそれぞれ同会社の役員、事務職員は真実を記載し一応それに基き所轄税務署に申告したるものであったが国税局との意見の相違により、起訴前約一ケ年間折衝中被告人橋本は意見の一致点を見出せば何時にでも納税するにやぶさかでない意思を表明し置きたるに、その後国税当局は遂いに告発手続となり、本件起訴を見たものであるが、被告会社及橋本は、判決前国税局査定の合計金二千数百万円の両年度の税金は一応既に納付ずみで国には何等損失を与え居らず忠実な庶民階級としては相当巨額の納税義務を果し居るものであり且つ被告個人橋本は長年地元松茂町の町会議員の名誉職を励み紺受褒章を内閣より授与され居る等公共に奉仕すること永きにありかかる事実を勘案せば原審認定の法人に対する科刑においても更に寛大にさるべきに拘はらずこのことなきは刑量著しく過重なものと信じます。

右控訴趣意書提出します。

昭和三十九年十月十五日

被告人二名 弁護人

木村鉱

高松高等裁判所

刑事部 御中

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